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【北朝鮮と私】18歳の夏、修学旅行先は北朝鮮だった(1)

「書く、書かない?書いたらやばい?」

 

こんな葛藤でなかなか書けずにいた北朝鮮についての記事。書くに至った経緯は以下の通りです。

 

現在ひたすら家で、大学院の宿題と修士論文の事前研究を行なっています。論文の研究のテーマは「北朝鮮とのビジネスが日本の経済にもたらす影響」。国交がいつか復興するという仮定で進めています。

 

なぜこのテーマにしたのかは、のちにまた記事にします。大学院に入学する前から、事前研究を初めていたほど、熱心に取り組みたいと思い続けているテーマです。

 

参考文献の一つである磯崎敦仁さん執筆の「北朝鮮と観光」を読みながら、「やはりこのテーマは面白い」と再度興奮を覚える一方で、自身が残すべき経験があるのではないか、と思い始めました。

 

私が通っていた高校の卒業旅行は「北朝鮮」でした。当時は対して何も考えておらず、「友達と14日間も一緒に過ごせるの楽しみ」くらいにしか思っていませんでした。

 

これから書く全てのことは2014年6月に訪れた時点での印象論です。6年前の記憶を掘り返して書くので、実際に行かれた方や、最近訪問された方々、または専門家の方からすると意見のズレもあると思います。その際は随時修正し更新します。

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Photo by Steve Barker 

平壌に向かう飛行機の中で

関西空港から中国経由で平壌の空港に到着。出発する前は北朝鮮に行くことが楽しみというよりも、ただ「友達と過ごせる非日常な時間」に対するワクワクだけでした。

 

「停電するらしいよ!」「ご飯は意外と美味しいらしいけど、合わない人は本当に合わないんだって!」「水族館楽しみ」私の周囲の反応もこんな感じでした。

 

中国から北朝鮮行きの飛行機は、高麗航空でした。機内の様子は悪くありませんでした。軽食ではハンバーガーが出てきて、モニターには北朝鮮のアニメが流れていました。

 

印象的だったのは着陸するときです。スムーズすぎて、下向しているのに気づかないくらい快適でした!(笑)これまでいろんな航空会社を使ってきましたが、高麗航空のパイロットを超える会社は未だありません(笑)

 

着陸後、初めて目にする北朝鮮の外の風景を見ながら、ネガティブでもポジティブでもない「なんとも言えない心情」を抱いたのを今でも鮮明に覚えています。

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Photo by Random Institute 

広い、大きい、平壌の街

14日間の北朝鮮旅行でしたが、正直かなり体力的に参ったのを覚えています。ほぼ休む暇もなく、移動しては観光名所に訪れていました。

 

夜になるとクラスごとに集まって感想を述べたりミーティングをして、朝には早起きして当時所属していた部活の練習に励んで。体力的に限界というくらいまで追い込まれていましたが、今となっては「あの時頑張ってよかった」と思っています。

 

白頭山以外は、ほぼ全てバスでの移動でした。平壌の中心部は、綺麗で広い道路が広がっていて、大きな建物がたくさんありました。

 

高層マンションなどもありましたが、どれがオフィスビルでどれが住宅ビルなのかは見分けがつきませんでした。至る所に国や党を讃える横断幕や看板があったのが印象的でした。

 

平壌で一番大きいと言われる子供のための病院や博物館に訪れたり。どこも大きくてびっくりしました。博物館では一度停電しましたが、現地のガイドさんはいつだって平然としていました。

 

滞在中に停電した回数はそんなに多くなかったと思います。確か5、6回ほど....?

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Photo by Random Institute on Unsplash

衝撃は忘れない、中心地から外に出ると

バスの中では極力寝ないように、と先生から言われていました。本当に苦しいくらい眠たかったので、当時は怒り半分で起きていましたが、今思えば先生に感謝したいと思えるくらい、おかげで車窓から衝撃的な光景を目にできました。

 

平壌の中心地から少し車で運転すると、そこに広がる道は私の人生で見たこともないくらい「未発達な村」でした。

 

どこに向かう途中の道だったかは、全く覚えていませんが、その光景だけは鮮明に記憶に残っています。

 

「これは豚小屋か?」と言わんばかりの小さくてボロボロな家がポツリポツリと見えました。地面もコンクリートなんて見えません、風景全体が茶色で覆われていました。

 

「北朝鮮はここまで自分たちの力で発達したんだ。苦しい時期をなんども乗り越えてきて」そう言われたらそうだけど、この貧富の差は当時あまり政治や経済に全く関心がなかった私にとってでさえも、ショックの一言でしかありませんでした。

 

軍隊との交流、平壌に置いていったボールペン

今覚えば、ハードだったけど非常にハイクオリティな修学旅行でした。観光名所に訪れるだけでなく、平壌の学生や軍隊の人たちと交流する機会がたくさんあったからです。

 

確か3つの軍隊訓練所を訪れたと思います。2つは男性だけによる軍隊、もう1つは女性だけの軍隊。どこもそれぞれ特色があり、とても印象に残っています。

 

初めて訪れた訓練所での話。学生2人につき1人の軍人がついて、一緒にパンやジュースを頬張りながらお話しする時間がありました。

 

とても楽しそうに、たまに少し照れながら話してくれたのを覚えています。印象に残っている話は、彼の妹についてでした。

 

寮生活なので、実家にはあまり帰れないとのこと。実家には母と小さな妹がいて、妹は勉強を頑張っていると嬉しそうに話していました。

 

もう6年前のことなので、大体の会話の内容は本当に忘れてしまったのですが、とにかく家族のことを大切にしていて、国と家族のためを思いながら、苦しい訓練に人生を捧げていたのを覚えています。

 

帰り際に、3人で手を繋ぎながら歩いている時に歌を口ずさんでくれました。その時私は、彼の歌を聴きながら複雑な気持ちになりました。

 

毎年こうやって日本から来た修学旅行生と交流して、会話の仕方も髪型も、持っているものも、全て違う同世代の人間を見てどう思うのかと考えると、とっても悲しかったのです。

 

何を思いたったのか、私はお別れする際に持っていた当時お気に入りだったディズニーのボールペンをカバンから取り出し、「今度妹に会う時に、あげてください」と渡しました。

 

 北朝鮮にはこんな可愛いボールペンないだろう、と思った単純な私の、精一杯の感謝の気持ちの印としてとった行動でした。

 

彼がそのあとボールペンを妹に渡せたのかはわかりません。もしかしたら、我々が帰った後に全体検査をされて没収されたかもしれません。そもそも妹がいるなんて、嘘だったかもしれません。

 

ただ本当に、同じ人間なのにこんなにも違う人生を歩んでいるという現実に、18歳の私はいてもたってもいられなかったのです。

 

次回に続く

北朝鮮で見て聞いたことは、少なくとも事実と虚実が混在していると思っています。出会った小学生たちはみんなキラキラした目をしていました。平壌ホテルで働く綺麗なお姉さんたちはいつも、国や政府には感謝の気持ちでいっぱいだと語っていました。

 

心底そう思っているのか、実は指示された言動だったのか。そもそも我々がどのような存在かきちんと知らされていたのか。

 

考えても果てしないことですし、事実でも虚実でもどちらであっても、出会った北朝鮮の人たちが今それぞれの「暮らし」に幸せを感じていることを願っています。