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【北朝鮮と私】18歳の夏、修学旅行先は北朝鮮だった(2)

部屋を掃除しているとボロボロと出てくる北朝鮮の民芸品。私が通っていた高校では、この民芸品にメッセージを刺繍してプレゼントするのが流行っていました。

 

修学旅行から帰ってきた先輩や親戚からもらうのが、いつも楽しみでした。

 

同じ高校の卒業生である6つ年上の私の兄も、高校3年生の頃に修学旅行で北朝鮮に行きました。

 

私が初めて北朝鮮のお土産をもらったのは、小学6年生の頃。北朝鮮から帰ってきた兄からもらったポシェットが嬉しくてたまりませんでした。

 

当時12歳の私が持っていた北朝鮮に対する印象と、自分が実際訪れてから抱いた印象、またその後に韓国で北朝鮮について学んでからの印象、どんどん変わっていきました。

 

だからこそ書いて残したいです。

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Photo by Random Institute

疑問を持つ暇も無いツアー

北朝鮮の観光の特徴は、ツアーガイドさんとの行動が必須であることです。自由行動は一切無しだったのを覚えています。

 

それは我々の高校だけでなく、一般の観光客もそうです。当時学生だった私は「修学旅行だから当たり前でしょう」と、行動制限に対して違和感は全く感じませんでした。

 

どこに行っても「最高指導者である、〜がここに来られて....」「 オープンした当初は 〜がお座りになられて.......」という説明が、ガイドさんから毎回決まってありました。

 

正直ガイドさんたちの話を14日間ノンストップで聞くのは本当に体力的にきつかったです(笑)理解しようとしてもなかなか頭に入ってきませんでした。どこに行っても熱心に、誇らしげに話すガイドさんの姿だけが記憶に残っています。

 

その上言語の壁もありました。日本で幼稚園から高校卒業まで、「朝鮮学校」と呼ばれる北朝鮮により支援されている学校(定義の正解はわかりません)で朝鮮語を学び、日本語の時間以外は全て朝鮮語で授業を受けてきました。

 

学生の頃は1日の半分以上を朝鮮語で喋っていましたが、いざ訪れると北朝鮮の人たちが話す朝鮮語を8割も理解できなかったのを覚えています。

 

聞きたいことがあっても、話しかけたくても、なかなか伝わらなかったのを覚えています。韓国に行った時も同じことがあったため、結局私たちは何語を学んでいるのだろう、と思いました。

 

当時配られたメモ帳を見返すと、建物が何メートルとか、この場所が建設されたのはいつとか、そういう聞き取りやすい端的な情報しかメモに残っていません。 

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当時の航空券

切ないようで嬉しい事実、彼らも同じ人間

印象に残っているのは、かなり北朝鮮っぽい(熱心で心込めて話す感じ)ガイドさんもいれば、施設によっては親近感の湧きやすいお姉さんもいたことです。

 

「同じ人間だからそうでしょう」と言わんばかりに当たり前のことですが、北朝鮮の女性たちは悪い意味無く、優しすぎていまいち感情が読めませんでした。

 

私が交流したり話した人たちだけがたまたまそうだったのかもしれませんが、彼女たちがあまり冗談を言ったりする姿は記憶に無いです。

 

ほとんどの女性は、会話ひとつひとつに熱がこもっていて、お肌と目をキラキラさせながら、お仕事をこなしていました。

 

とある施設での話。軍服を着た案内係のお姉さんは、私たちが話を聞いていなかったり、高校生らしいまとまりのなさを見て、時々温かく微笑みながら案内をテキパキこなしていました。

 

内容は忘れましたが、時々話しかけてくれたのを覚えています。その問いかけ方も、小さい子に問いかけるような感じではなく、同年代の女の子に話しかけるような、吹っ切れた感じでした。

 

その笑顔と姿は、北朝鮮に来て以来非現実感だけを味わっていた私にとって、かなり新鮮でした。「こんな人間らしい、若いお姉さんもいるんだ」と思ったのを覚えています。

 

また、平壌の中学校に訪れた時に出会った女の子もとても印象的でした。「お姉ちゃんたちが歌っていた曲、とっても素敵!歌詞ここに書いてよ!」と新しいものに興味津々な様子で話しかけてくれた子がいました。

 

中学校なので、交流時間の雰囲気は活発で賑やかでした。「ねぇ、ここはこれであってる?もう一回歌って」

 

そんな彼女を見て、ずっとそういう風に自分の物事に対する「好きという感情」を大切にして欲しいな、と18歳ながらに思いました。

 

次回に続く

よく考えると、先生に勧められて何度か朝食前に大同川沿をランニングしていたのを思い出しました。私だけでなく、サッカー部の子や女の子たちもそれぞれ走っていたのを覚えています。

 

「朝だと、おばちゃんたちが大同川沿でみんなで体操したり踊っているのを見れるよ」と先生が教えてくれました。実際に走っていると、本当に20人以上のおばあちゃんたちが、音楽を流しながらタオルを持って楽しそうに踊っていました。

 

今思うと、自由行動が許されない中で、あんな経験をできてラッキーだったなと思っています。当時は「先生が言っていた通りみんな幸せそう」「国のために一生懸命でやりがいを感じているな」と思っていました。

 

数年が経ち、北朝鮮という国をグローバルな視点で見たり、実際に脱北者にあったり、彼らの証言を読んだりすると、こういった記憶も様々な角度で分析できます。

 

今考えると私は12年間、北朝鮮について学んで来たにも関わらず「チュチェ思想」が何かもわからない、小学4年生から中学校3年まで赤い「少年団ネクタイ」と呼ばれるものをつけて集会に出たりしていたにも関わらず、そのネクタイが意味することもわからない。

 

 

一生かけて向き合っていくべきだと、学べば学ぶほど感じます。